ボディサーフィンの起源は分からない。1778年にイギリスのクック船長がタヒチかハワイで見たとか、紀元前2000年のハワイにそのような文化があったとか。歴史が記録される前から、いろいろなところでやっていたのだと思う。
日本でも、水泳の一種として昔から行なわれていた。水術(日本の古流泳法)は江戸時代に発達したが、大正初期の水泳の教本には、泳ぐための基礎的な技術のほか、救助法や波乗りといった応用技術も含まれていた。その波乗りの完成形がボディサーフィンだった。
日本でも、水泳の一種として昔から行なわれていた。水術(日本の古流泳法)は江戸時代に発達したが、大正初期の水泳の教本には、泳ぐための基礎的な技術のほか、救助法や波乗りといった応用技術も含まれていた。その波乗りの完成形がボディサーフィンだった。
波乗りは残念ながら途絶えてしまったが、記録から様子を知ることができる。
大正3年(1914)に出版された「游泳法と其實際」(津崎亥九生著、敬文館)には、競泳、遠泳、飛び込み等と並んで「濤潜、濤乗(波潜り、波乗り)」が挙げられ、当時の技術について記されている。
波潜りについてはこうある。
「(前略)濤頂の将さに崩れんとするときに、頭部を下げ兩輪伸を用いて濤を貫くのである。(以下略)」
今でいうドルフィンスルー。兩輪伸とは、腕は今で言う平泳ぎ、脚は扇足(あおりあし)の動作を組み合わせた古流の泳法である。
また波乗りについてはこうある。
「濤乗には、浅瀬にてするものと、底深き所よりするのとの二種類がある。
浅瀬にて乗るには、濤頂が凡一間位の後方に來たときに足尖にて水底を蹴つて足尖と濤頂に入れ兩臂を前方に伸ばして躄脚を急速に行ひ、十分に濤に乗り切れたる時に蹙足を止めて之を伸ばし、濤頂と共に進退するのである。(第八十三圖)然れども未熟の間は濤に捨てられて取り残さるゝ事があるから、其時には一方の臂を前方に伸ばし、他の臂にて小さき抜手を用ひて其前進を助くるがよい。
(中略)
深き所にて游ぎ居るときに乗らんとするときには濤頂が體の後方三尺位の所に來りて體の後半部上揚するとき、體の前半部を少しく下げて両臂を伸し、兩脚を伸すや直ちに小さき蹙足を用ゐ、全く乗り終りたるときに蹙足を止めて脚を伸ばす。」
蹙足はバタ足。片腕を前方に伸ばし、反対の腕でクロール(抜手)をする動作や波に乗った姿勢は、現在のボディサーフィンと同じ技術である。図に描かれた、腕と脚を伸ばした抵抗が少ない姿勢で波頂とともに前進する泳者は、安定すると同時に躍動感があり、当時の技術の高さを示している。
中略した部分には板子を補助に用いる方法が記されているが、それについてはもう1冊の本から詳しく紹介しよう。
続きは次の記事で。
▶ 日本の伝統的なサーフィン(板子乗り編) へ続く
12-05-13 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
波乗りが水泳技術の体系とは別に始まり、発達した例もある。
文政4年(1821)、現在の山形県鶴岡市湯野浜で、付近に住む子どもが瀬のし(板子乗り)をしていたと記録されている。その後、明治33年(1900)に板子を補助に用いないボディサーフィンの技術が確立したという。
文政4年(1821)、現在の山形県鶴岡市湯野浜で、付近に住む子どもが瀬のし(板子乗り)をしていたと記録されている。その後、明治33年(1900)に板子を補助に用いないボディサーフィンの技術が確立したという。
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